コロナに負けるな

コロナに負けたくないと思い、なぜか自分の生い立ちを暴露しようと思い立ちました。
多分なんの変哲もない生い立ちです(笑)おつきあいくださいませ。

私は、茨城県の東海村で生まれました。東海村といえば、そうです原子力の村です。
実家は先祖代々東海村に住む先住民です。分家に長女として生まれた私は、とても落ち着きのない活発な娘だった様子です。原子力のおかげで開発の恩恵をうけ、村のようで村でないそんな特殊な東海村で育ちました。

恩恵その1 原子力関係の施設が多いため固定資産税で財政が豊かです。昭和50年代の村立中学校にLL教室なるものがあって、カセットテープを入れてヘッドフォンをして英語の勉強ができた。

恩恵その2 中学校に弓道場があった。

恩恵その3 原子力関係の親の転勤で転校生が多い。そして皆頭が良い、そして皆標準語だった。

恩恵その4 金持ちの村を取り込みたいと近隣の市は合併を狙うと噂が絶えず。応じないので村のまま。

恩恵その5 ウランを冷やした生暖かい水を海に放出する秘密の場所で釣りをすると豊漁。

恩恵の効果ですが、
①LL教室で学んだおかげで茨城弁混じりの英語の発音が少しだけ改善されました。
②素晴らしい弓道場でしたが、バスケットボール一筋でしたので残念ながら足を踏み入れたことはありませんでした。
③転校生は皆あか抜けていて秀才なのが不思議でした。今ならわかります。遺伝なのだと。転校生の親は皆優秀な東京の研究員なのです。そして自分は茨城弁丸出しであることは東京の女子大生になるまで気づきませんでした。転校生たちと仲良かった私は標準語であると信じて疑いませんでした。
④釣りは父親との唯一楽しかった思い出です。進入禁止のフェンスが張り巡らせているのに、地元民は壊れた網の穴を知り、そこを潜り抜け、長い松の防風林の砂浜を釣り道具を抱えて歩き、大きな施設の横を通り、海に出ます。ゴーという爆音と共に海に暖かい水が放出されています。そのため辺りの海水は生暖かく漁場としては特殊な環境になります。帰りはキノコを採りながら帰ります。が、今なら分かります。とても危険なエリアで恩恵を受けていたことを。
⑤そして吸収合併されない頑固な東海村、私は好きです。