終活を考える

先日 お独りで暮らしていた80歳の男性が病院で亡くなられた

その方は不治の病で闘病していた

手術しても延命でしかなく、余命宣告を受けていた

家族は

妻は数年前に他界している

息子は生まれつきの重い障害で施設で暮らしている

 

手術はせず、残された時間を自宅で静かに暮らした

 

そしてとうとう自宅で倒れ緊急搬送された

幸い搬送された入院先で体調は落ち着き生気が戻ってきた

 

そのタイミングに

自宅を売却してほしいという依頼が入った

病院に向かった

車いすの状態ではあったが、とても気力が満ちているご様子に安堵した

そして

自宅から持ってきてほしいものがあるからと言われ、現地調査も兼ねて向かった

 

2階の書斎には

目を見張るばかりにファイルが並んでいた

自宅で静かに過ごしていた間

残す家族を見守る人が迷わないよう、そして自分を終うための時間として費やされていたのだった

家計簿、不動産の必要書類、通帳、写真、連絡先、保険、車

項目ごとに分かれて全て整理されていた

中身を拝見させていただくと、本当に細かく明記されファイリングしていた

1度しかまだお会いしていないが、生から死への情念が強く伝わってきた

 

この棚のこの色のファイル、机の右下にある箱、カバンの中のカード類

と在処の事細かい指示にも驚きながら、的確に見つけ病院に届けた

 

気力は落ち着いているが、余命宣告を受けていることは変わりない

自宅処分が最後のファイリングなのだ

 

容態が落ち着いている今、自宅処分の思いを遂げてもらいたいと

早急に売却先探しに奔走した

 

しかし簡単に買い手が現れる場所ではなかった

本人もそのような土地であることはしっかり理解していた

そんな中、なんとか前向きに検討してくれる先が現れた

とはいえ直ぐに所有権が移転できるわけではない

 

待ちの時間がすぎていくのがもどかしい

そして、とうとう不治の病が勢力をもりかえし始めた

 

容態が落ちる中、追加のファイルを自宅から持ってきてほしいと携帯で依頼が入る

が、一週間後には電話に出られないほど体力が落ちた

 

とうとうモルヒネで痛みを緩和するしかない状態となったが、

最後の主張は、延命しないで欲しいと水分の点滴すら拒んだ

前々から決めていたのだろう

どんどん落ちていく

そして5日後に亡くなった

 

とても神々しく見えた

生きざま、死にざま、自分の運命に翻弄されることなく遂げられたのではないか

無念はないだろうと思いたい

 

実は住職の称号を持つ方だった

神々しい所作は、修行の賜物なのかもしれない

 

煩悩の中で生きる自分にこれから何ができるのか何をしていくべきなのか

少し考えようと思った

感謝