私は誰の世話にもならない!

お独りで暮らしていた85歳の女性が突然亡くなった

子供はおらず

ご主人が働く、工事現場の飯場と寮の食堂を切り盛りしてきた九州出身の肝っ玉母ちゃんだった

現場の若い衆を子供のように可愛がり時には叱り豪快に生きてきた

ご主人を先に亡くし、同じアパートでその後も長く暮らし続けていた

世話好きでもあるためか、独り暮らしでも地域の皆に慕われ支えられ理想的な独居生活を送っていた

が、元来我が強い性格で、人の好き嫌いがはっきりしているせいからか、親族との交流は断絶している様子だった

年齢と共に、たびたび転んだり倒れたり入院したりと、その都度近隣の方が世話を焼き何とか生活を続けられていた

そしていつしか認知症も発症していった

近隣の方の好意で支えられていることが当然の感覚となり、誰にも世話にならずに生活していると強く思いこむ言動が強くなっていった

認知症のおかげか、豪快で頑固な性格は、より強固となっていった。

近隣の方々も、頑固さに手をやくようになり、温かい見守りの範疇を超えるようになった。

今までこれ以上世話を焼くことは勘弁してほしいという声が出始め

独居生活を支える外部サービス導入につなげられないかと、相談がもちかけられた

 

ケアマネージャーやヘルパーさんと伺うも

「私は誰の世話にもならない!」

の一点ばりで、全く耳を貸さない状態というか認知症もあり素直に柔軟に理解することは難しい状態であった

世話好きだが、自分に意見を言う人に対しての好き嫌いも激しく、物事を変えることへの拒絶もあり簡単に受けいれる感じではなかった

何度か通い距離を縮めててみようと試みたものの、逆に拒絶が出る始末

仕方なく次のタイミングを待とうと退散することにした

 

1年後、近隣の方から再度連絡が入った

もう近隣で支えるには限界だという訴えだった

どうしたら本人が首を縦に振り、外部サービスを導入させることができるのか

近隣の方の中に、助言に耳を傾けそうなキーマンがいたので

その人を巻き込み、独居生活を支えるサービスを導入させる作戦をたてようと、近隣住人数人と近く集まり話し合う予定でいた

 

その矢先

生活している様子が見えないという近隣の方からの連絡で、

不動産会社で鍵を開けて室内に入ったところ

室内で倒れていた

意識はあった

緊急搬送された

が、その後その日のうちに病院で亡くなった

 

「私は誰の世話にもならない」

 

長患いもなく、自宅で亡くなることもなかった

人の世話になったとしても10時間であった

ある意味、誰の世話にもならずに亡くなられたのかもしれない

周りの心配は結果、自分の意思通り無用であったことが証明されたのだ

 

死後の手続きは、残された親族の仕事だが

案の定、親族情報は古く、連絡がつかない状態であることが判明した

残念だが無縁者として役所案件として処理されるされることになった

財産は、年金月額15万円でぎりぎりの生活 家賃4万円も無計画に年金を使い払えないこともあった

預貯金もほとんどない

 

救急搬送されて亡くなっても、病院の処置費はそれなりに高くしっかり請求される

葬儀はせず病院から焼き場に直葬でも費用はかかる

もし、司法解剖となり病院から別の場所に運ばれて戻る場合の運搬費も払うことになる

アパートの家財の処分費に仏壇の処分

とにかく、人を終うことには費用がかかるのである

今回のような身よりがない役所案件となった場合は、もちろん税金で賄われる

親族がみつかれば親族が負担する

もし、地方の年金暮らしの遠縁の高齢親族が見つかった場合

その親族にわざわざ連絡がいき、処遇を求められるのである

 

「私は誰の世話にならない!」

 

と、自分なりの根拠で言い張る高齢の方は多い

私の親もそうだ いつも喧嘩だ

反対に最小限世話にはなるが、自分の手で全うしようと整え最期を迎えた方と先日関わった 覚悟の姿が神々しかった

 

「私は誰の世話にならない!」

頑固な私は、歳を重ねていくうちに間違いなく言いそうだなと

そんな気がしてきた