親の死

父親が5月に亡くなった 享年92歳
母親はもう4年ほど前に亡くなっているので 両親とも いなくなった
先日 相続手続きで誕生日と死亡日を書いていて 思った
誕生日 昭和8年5月11日
死亡日 令和8年5月12日
医師の死亡確認の時間が日を跨いで12日になってしまったから 死亡日記載は12日だが
本当の死亡日は 5月11日 23時50分ごろだった
本人の運命は 死んだその日が誕生日で しかも 昭和8年に生まれて令和8年に亡くなる
何も誰も得もしない事実だが 本人にとっての運命としては 何か意味があるのかのしれない
が、当の本人は 誰かのために行動することもない 家族のためと配慮することもない 優しい言葉をかけることもない
趣味もない 変化を嫌い 贅沢にも興味なく 堅実な生活しかしない 自分中心だが自分にも他人にも興味はない
生まれてから死ぬまで同じ場所で生活した
残念だが特別でも何でもない 独り完結型の人生だった
なので 父として 褒められたこともけなされたこともない 逆に悪口はなく 争いも避ける
そして すべて「しゃーない」で済ます
娘として 可愛がられた記憶は皆無だ
害はないが 何も頼れない 聞いてもまともな回答は期待できない
一家の主として 形的に母はたてていたが 母も同じように頼れないからか
残念ながら影は薄かった
自分が10代後半 思春期のころ 当然ながら 父親は最大限うっとうしかった
全く会話はなかった というか 話す必要がない
親と相談の必要があったのは 大学進学を希望した時だけだけだった
父は 自分の常識で「必要ない」 だけ
母は 嫁に行き遅れるとか お金がない と言い張っていた
両親とも 私の気持ちは優先してくれない
そうなると力づくでの説得だ
影の薄い父の了解は必要ない 母を説き伏せるのみ
そんなこんなで 我と自立心が強い娘が出来上がってしまった
父の最後の生活の場は 特別養護老人ホームだった
昨年11月までは 家の近所の こじんまりとした住宅型の施設で生活していた
自分で 起き上がることができなくなり 骨太の大柄な父の介助は難しいということで転所した
ゴールデンウイーク中に施設から 父の調子が落ちてるので面会したほうがと連絡があった
駆けつけると 虫の息状態ではあったが 意識はあり ごにょごにょ 話しだした
「はー終わりだ はー終わりだ」
聞こえる~? 「あいよ~」
よく聞き取れなかったが 合点した かなり前からの口癖だった
ずっと前から言っていた 体調を崩した時 母が亡くなった時「俺も終わりだ~」と
「はー終わりだ はー終わりだ」と言いながら亡くなるもの面白いと 笑ってあげた
92歳だし 長寿全う 全然悲しくはない 本人も何も思い残すことはないだろう
そして両親ともいなくなった
親に頼ることもなく親の存在を脇に追いやり 薄い存在にしていた
本当に薄情な娘だ 感謝の気持ちも もっとこうしとけば という感情も湧いてこない
そして 何故か どこか 開放的な気分が生まれた
「○○すべき」
特に母親から刷り込まれていた
女なんだから○○すべき 母親なんだから○○すべき 近所の手前○○すべき 挨拶は○○すべき
後ろ指さされないよう○○すべき 服装は○○すべき 人と同じことをするべき
そんな「べき論」の重しが 軽くなったような気がした
親の顔色を窺がわず 自分がやりたいことができる 何をしても 親に言う必要がない 悪い娘と言われない
そう気づいた時
親の存在がどれほど大きく 重いものなのか を悟った
いまだ感謝もなければ後悔もないが 重さを知れただけ 親孝行かもしれない
