シニアの心の声

シニアの生活支援を中心にいろいろな隙間の問題に携わっていて感じること

何がその人にとって一番幸せなのか

である

本当に分からない 人それぞれだ

 

人間の脳は、保守的なことを選択するようにプログラミングされていると

脳科学者の中野信子先生の本で見かけた

なので、リベラルが保守に勝つことは科学的に不可能だという見解もあるらしい

 

そんな内容を読んで

シニアの思考癖に合点した

年齢を重ねるにつれて、現状に固執する

介護サービスを使えば少しは便利で楽な生活になるのに、受け入れようとしない

こんなに不自由なのに、動けないのに 改善する気がない 必要がないと言い張る

皆で寄ってたかって説得すればするほど頑なに拒む

私の父親がまさにそう・・・・・

思考が、脳の老化で単調になり深く考えることができないからこそ

本能で人間の脳のプログラムに忠実になるのかもしれない・・・

 

私の父親だけでなく、そのような方は本当に多いというか、そんな人ばかりである

皆一様に「他人様に迷惑は絶対にかけたくない」と念仏のようにいいながら

何もしないで今に固執する それが唯一の幸せであると思い、提案は全く理解しない

そのほうがどれだけ迷惑なのか・・・・

と現実を散々伝えるが、肝心なそれには全く理解しない

徒労だ!

 

もしかしたら生活を変えないでいれることが、本人にとっては幸せなのかもしれない

介護サービスだ終活だと提案することは、家族や支援者のエゴなのではないかと

この頃思ったりもしている

 

生活が変わることが怖い

身体が死に向かっていることを本心では理解しているからこそ、今にしがみつく

前と変わらないでいけると思い続けていたい

自分で自分を受け入れられない

そんな思考に、寄り添うといいながら私は土足で踏みこんでいるのかもしれないな・・・

 

あるお父さん

数円前までは、カラオケの会に行くなど朗らかで社交的だった

昨年自宅で倒れて救急搬送され、一命はとりとめたものの身体麻痺が残り、

家族と共に生活しているが、昼間は週2回のディサービスに通っている

元々社交的なのだから楽しく通っているのかとおもいきや

「本当は行きたくない つまらない」とぽつり

 

ある独居男性

生活保護受給生活し医療費は無料 バス代もシルバーパスで無料

生活はとても質素で保護費が余るような生活で逆にもっと豊かに暮らそうと提案する有様だが

介護サービスも必要以上にはいらないと拒む

それでも病院通いにはとても積極的で、少しの痛みですぐに近くの大学病院に行ってしまう

救急車呼んででもいく、3回続けて呼んだら3回目にはタクシーかバスで行くようにと諭され搬送拒否されたと笑ってた

他の薬の副作用による違和感で問題ないと、しっかり精密検査してもらい説明されても

少し経つとまた訴えに行く そんなこと数回

医療費もバス代も無料で、検査重視で安心のお墨付きをもらえ大学病院は、

本人にとっては、この上ない生きていることを保証してもらえる場所なのだろう

 

ある93歳独居女性

自宅で倒れて救急搬送された

一命ととりとめたが自宅で生活するまでには体力が戻らず

リハビリ病院やらショートステイやら転々としながら介護される生活を送ること10か月

至れり尽くせり完全介護で不自由でない安心の生活を送っているにもかかわらず

その方の口癖

「もう疲れちゃったこんな生活 こんなに長生きするとは思ってなかった」

自分で自分のことが何も出来ない、誰かにしてもらわないと生きていけない

文句言いたいこともあるが、世話してもらっているので気を使い我慢するしかない

そんな不甲斐なさを嘆いているように感じた

 

人それぞれ幸せの形は違う

特に歳を重ね身体が衰えて死が迫りくることに実はとても敏感になっているシニアの心の幸せは

それに向き合っていない今の私には想像できない

同感することは難しいが

「そう思っているのね」と共感することはできそうだ

生活支援の中で提案を聞き入れてもらえず徒労を感じることも多いが

伴走していきます(あっ宣言か!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の記事

自己肯定感