母の名から思うこと

母の名前は「マツ」カタカナで2文字。小さいころは変な名前だと思っていたが、

今仕事で戸籍を取り寄せるようになり明治大正昭和初期の女性の名前にはカタカナやひらがな2文字が多いことで納得できた。

てつ はま いと ちよ きく いね はる よて ふさ きみ すて けさ みえ ハツ キノ フミ

明治時代はひらがな 大正から昭和初期はカタカナと流行はあるかもしれないが

男性はいつでも意味深い漢字名なのに女性はカタカナやひらがな

名前をもっても女性の位の低さを見て取れる

地方で田舎でればあるほど如実に受け継がれている

それが良き日本の伝統なのか それとも 悪しき習慣なのか

今でもしきたりが強く残る地域では

正月ともなると女性陣が給仕し、男性陣はどっぷりと座り永遠と飲み食いしている

男性が上座で女性は下座

床に頭が付きそうなくらい腰が曲がろうとも、しんどくても女性が台所仕事をするのが当たり前という家もある

名前ひらがな2文字時代からすでに100年もたつのに

変わらない男女の見えない力関係に縛られている状況はいつ変わるのだろう

 

昔の風習の進化系と思う現代の問題

DV 虐待 パワハラ モラハラ

問題視されているが、まだまだ氷山の一角

特に家庭内は見えないところなだけに外部には分からないから厄介だ

昨年末にやっていたドラマでも、剛腕弁護士の夫が専業主婦の妻に心無い言葉を畳みかけていたシーンがあった

力の弱い、自分より低いとみなしている女性へ、その矛先は向かう

中には子供や年老いた親にも及ぶ

昨年老夫婦から相談があった 「娘夫婦から虐待を受けている 逃げ出したい」

どうにか介入し安全な場に連れ出したかったが、叶わなかった

 

暴力虐待とまではいかなくても、パワハラモラハラは家庭内だけでなく

いつでもどこでも他人間でも横行している

元々は偽善者だからか最初は全く分からない

しかし人が集まればどこでもかしこでも大なり小なり同姓間でも起こる

なぜなのか

そんなに相手を落とし自分が上でいたいのか

自分を守りたいのか 殿様として君臨したいのか

あがめられ、お金を握り、社会的地位も高いのが偉いのか

ストレスを発散できるのか

 

痴漢には縁遠いこの私でも、パワハラ・モラハラには遭遇する

そこで感じたこと

始まりのだいたいのパターン

最初はとても友好的である。懐にすんなり入れる。面倒を熱心にみる

自分を良く見せることには嘘をついてでも行う

しかし獲物を定めると本性を現しパワハラ・モラハラという見えない凶器を使って支配を始める

マインドコントロールや洗脳もだいたい同じ手法から始まるようである

相手の精神を自分への依存と忠誠心 そして恐怖により支配するのだ

上手く支配しお眼鏡に叶えば飼い犬に、自分に楯突いたり必要なくなれば難癖つけて容赦なく切り捨てる

基本単純だが、渦中にはまれば簡単には逃げ出せない

組織の序列も同じ手法で構築していく場合もあるようだ

 

大好きな アルフレッド・アドラーの言葉から思う

「世話好きな人は、単に優しい人なのではない。相手を自分に依存させ、自分が重要な人物であることを実感したいのだ。」

自分が重要な人物であることを証明するために、人はありとあらゆることをします。人の世話を焼くことで、相手を自分に依存させます。また自分を責め、傷つけることで、周囲から謝罪や同情を手に入れようとします。そうまでして自分の価値を実感したいと思うのが人間です。

依存したり依存させたりは序章の行為なのだろうか

 

DV 虐待 モラハラ パワハラ の加害者

また、その片鱗を見せる偽善者であると気づいたら

逃げる 離れる

罪悪感は必要ない

離れれば、道が開ける

勇気とパワーを全開にする

自分を信じる

 

世の中に永遠とはびこる格差に、今の自分には何も出来ないもどかしさを感じる

コロナで渦巻く新年に何故か感じた一コマ   以上