生きる

葬儀が続いた

6月 95歳女性 老衰

7月 叔母 91歳 老衰

 

95歳の方とは4年ほど前からの関りだ

独り暮らしを支援してきた

5月 胆石持ちだったが、何かのはずみで胆管を塞ぎ体調を崩した

胆石を手術で取り除くことになった

医療の発達で手術自体は難しくないらしく身体への負担は軽く、術後の経過は順調だった

だが

胆石よりも、入院手術により嚥下機能が急激に悪化した。喉の筋肉が弱ってしまったのだ

水さえも飲み込めなくなった

ご本人は数年前の不調時から「早く死にたい もうたくさん」と言い、今回の入院もギリギリまで拒んでいた

胆石の手術同意はなんとかしたものの、その後の治療は「もうたくさん」と言い張る

嚥下だけではなく血管も硬くなり針を刺すのも簡単ではなくなっていった

「胃ろう」や「経管栄養」の治療をうけるかどうかを打診されるが、本人は希望しないし、年齢的なものもある

医師最終判断の元、治療は終了となり、嚥下回復を願い退院することになった。

退院後は看護小規模多機能施設でお世話になった やはり嚥下は回復せず体力は低下していった。

モニターで24時間観察をしてもらう 揺れながら落ちて行く

飲まず食わず10日 最後は眠る様枯れる様に止まった。

95歳だ 大往生だ 思い残すことはないだろうと思いたい

私は最後の4年くらいの関わりだけだ その前約90年間はどういう人生だったのか知らない

葬儀の時、親族は甥が一人だけかけつけてくれた 叔母の顔は覚えていないというが、目元そっくりに驚く

血縁の威力には感動すら覚える

 

2週間後、叔母訃報の知らせが届く

91歳 母の姉だ

母の兄弟は全部で8人 うち3人が女性だった

8人兄弟の仲はすこぶるよく、特に3人姉妹は本当に仲が良かった

ということで、従妹同士も良く遊んだ

この叔母と最後に会ったのは5年ほど前である 母と共に訪問した 本当に久しぶりに会った

その後は、一人娘である従妹の家で同居することになったと母から聞いた

その従妹には3人の娘がおり、6人家族の一員として最後は、賑やかな家族に囲まれて亡くなったようだ

この叔母の家に良く遊びにいってた記憶は 中学校に上がるころまでかな と遠い記憶をたどる

互いの家を泊まるなど、従妹同士しょっちゅう行き来し 遠方に一緒に行ったり 母の実家で落ち合ったり

叔母の言動が今でも目に浮かぶ

91歳の長い叔母の人生の中で、

甥姪との記憶や比重はどのくらい締めているのだろう 私なんかはたかだか12年くらいだ

それとも、生まれ育った幼い頃の思い出か

夫 娘 と暮らした家かもしれない

人生の中でどこが一番印象深く刻まれてるのだろう

最後に孫に囲まれて賑やかに暮らした時かな

そんなことに思いを馳せる

血縁に囲まれた叔母の葬儀

集まった甥姪中心の面々は、皆在りし日の叔父叔母の面影になっている 血縁の威力に感動だ

とにかく 今頃3姉妹天国で楽しく落ち合っているはずと送り出した

 

老衰で全うする時、人は何を最後に思い浮かべているのか

走馬灯のように昔の映像がグルグルすごいスピードで回っているのかな

それとも印象深いところだけフォーカスされているのか

笑顔なのか 客観的に眺めているのか 思い残す相手に何か伝えようと思うのか

後悔するのか、安堵するのか

それとも普通の夢を見ているかもしれない 終わりに気づいていない可能性もある

と、だれも想像も経験もできない領域に興味を抱く

 

生を受けること、死ぬこと 本当ならば自分でどうすることもできない

そんな老衰という寿命運命に逆らわない生きざま

眠るように枯れるように終わる姿はとても神々しかった