成年後見制度

ここのところ、ケアマネージャーやディサービス事業者などのサービス提供者側から「成年後見人の申し立ての段取りをお願いできないか」という話が多い

事情を聞くとだいたい依頼側の状況は同じだ

 

家族がおらず本人も認知症で、いままで何とか過剰なフォローを介護サービス提供者側でサポートしてきたが

そろそろ限界である

お金の支払いも不確かになってきている

一応元気で会話も出来るが、認知症からくる頑固さと理解力低下が進み 安心安全な生活に支障があるのに拒み怒る

徐々に様々な負担が大きくなっているので困っている

という話だ

後見人さえついてくれれば、自分たちは解放され 後見人が背負ってくれる

何より利用料回収の心配もなくなる

という目論見を感じる

早く進めて欲しいと切実な訴えもある サービス提供者側もそこまで追い込まれているのだろう

 

サービス提供者の仕事は介護サービスの提供である

お金の管理も生活全般のサポートも本来なら業務範囲外である

今までは家族がサポートする部分であるが、家族がいないと誰かがサポートするしかない

エアポケットである

サービス提供者がやむなく行う場合を散見するが、比重が大きくなると本来の業務ではないと

手を引くチャンスを探りだす

最もである

 

成年後見の申し立て件数を数多くしている司法書士に聞いた

法定後見の類型は 補助 保佐 後見 の3種である

後見相当とは、本人の意思がほとんどない状態のため、後見人が本人の代わりとなる 考え方によっては人権はく奪同等と重い

補助と保佐相当の場合は、本人の判断能力が薄弱な状態となり、改善も見込めない状況となり、本人も不安を感じてきている

最終的に本人の意思も確認した上で、補助人、保佐人が任命される。

補助人、保佐人の仕事は本人の判断サポートを行う 人権を護るサポートである

 

補助・保佐の審判は本人理解の上である

ということは、拒めば後見人はもちろん、保佐人も補助人もつけることはできないということだ

先の司法書士曰く、「本人の意思が相応にあるタイミングでは家庭裁判所は審判は出さない。 後見制度の目的は人権擁護である。なので家族代わりだけの意味合いで判断されることはない」

 

「後見人をつけるのを考えてみましょうかね・・・」「そんなの必要ない まだ自分でなんでもできる」

「だってお金の支払いや、自宅での生活も一人で難しくなってきているでしょう?」

「自分でできているから問題ない・・・・そんなところにお金を払うのもったいない!」

と、こんな会話が容易に想定できる

 

残念ながら

冒頭のような介護支援者側の期待に添う後見人制度ではないのである

 

ケアマネージャーや施設長、地域包括支援センターの担当者などの生活を支える福祉職の方々の成年後見制度に対する認識と

成年後見制度を司る法務関係者(家裁 弁護士 司法書士)の人権擁護の面から見る制度の認識に

大きな隔たりを感じるのは仕方ない 当然であるが理解されていない

 

成年後見制度では埋められない「エアポケット」

ここをいかに手厚くできるかが、重介護を迎える日本のこれからの課題なのではないかと考える

今後更に増大する独居と高齢と認知症

認知症は進むに従い素直に提案を聞き入れることは難しくなる 人格も変わるしなにより防衛本能が全面にでる

かかわる者、家族とっては一番しんどい時期である そして長い

認知症でなくても高齢になれば同様となる

 

この時期をどう社会で支えられるかがこれからの鍵なのではないかと思うこの頃のである

 

 

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